ゆっくりした時間が流れる空間で、建物の歴史を感じる。おいしい珈琲を飲みながら、古民家の雰囲気を味わう。いつまでも生き続ける、うつくしい織物や工藝品に出会う。
決して古びているとは感じない。この街では、そんなレトロ建築の魅力を存分に味わうことができる。「初めてなのに、どこか懐かしい」。桐生の人々から愛される建築をめぐってみよう。
どこか懐かしい擬洋風建築
カシャッ、カシャッと撮影の音が響く。成人式の前撮りで、桐生明治館のなかは鮮やかな振袖を着た女性とその家族であふれている。二階建ての建物をめぐりながら、少し緊張した面持ちの新成人が写真におさめられていく。「この時期は人数制限がかかるくらいです」。そう話す館長はどこか誇らしげだ。
いまでは地元の成人式や七五三の撮影スポットとしても親しまれている、桐生明治館。その歴史は約144年前、明治時代初期の1878年にまで遡り、当初は前橋市に衛生所兼医学館として設けられた。そこでは、桐生の若き機業家たちが集い、桐生の機業や染色の技術を研究し高め合っていたそうだ。桐生から前橋までおよそ30kmの道のりを毎週末、草鞋ばきで通った彼らは、後に桐生の繊維産業に大きな影響を及ぼしている。桐生を文化面・技術面を支えてきた明治館は、昭和3年に前橋から桐生に移築された。
その特徴は、日本建築風の構造と、西洋建築風の意匠という「擬洋風建築」である。当時の日本の建築家が、限られた資料をもとに見様見真似で設計したものだという。
その外観は、異国の建物のよう。中に入ってあちこち観察してみると、西洋らしいデザインを取り入れようと試みた職人たちの工夫を窺い知ることができる。たとえば、玄関ホールに入ってすぐに見える階段。その存在感は子どもの頃に憧れた「洋館」そのものだろう。しかし、いざ上がろうとすると転んでしまいそうなほどの急階段で、日本の古民家を思わせる。
階段を上がりきると、そのままベランダに出てしまう構造になっている。一階は屋内にあって、二階は屋外にあるという不思議な設計だ。手すりの小柱は太さが均一に仕上がっていないことから、一つ一つ手作りしたのではないかと言われる。新しい時代をむかえ、未知のものに惹かれた人々の情熱が垣間見えるデザインだ。
当時の空気感がそのまま残っているような洋館の佇まいと、意匠を凝らしたディティール、日本の伝統美を感じる紋に囲まれていると、時間がたつのがあっという間だ。喫茶室も営業しているので、レトロな洋館での空気感とゆったりとした時間の流れを楽しんでほしい。
古民家を味わいつくす自家焙煎珈琲店
桐生明治館から車で5分ほど走ると、ハッと目を引く古民家がある。ここは桐生市に佇む伊東屋珈琲。
この建物は、新潟県糸魚川のそばに建っていた古民家を移築したもの。当時そのままの姿ではなく、小さく町屋風に組み直したそう。昔は豪雪地帯で人々を雪から守っていた家が、今、様々なお客さんが訪れる人気のカフェとなっている。建物を支える柱からは、木のあたたかみと同時に力強さも感じられる。
店に入ると、天井が高く開放的で、調度品のしつらえも美しい。店員さんは「オーナーがこだわりを持って買い付けているそうです」と教えてくれた。
桐生出身のオーナー・高松さんは子供のころから古い建物やカップといった、アンティークなものに惹かれていたそうで、今もその好みは変わっていない。この建物の移築の際も、自ら古民家移築業者と話し合いながら、この空間を作り上げていったという。そのこだわりが随所に感じられる空間だ。
花柄を纏ったカップ&ソーサーに、自家焙煎のスペシャルティコーヒーをたっぷり淹れると、華やいだ香りがたちまちふわっと薫る。「クリスマスブレンド」だという珈琲は、飲めば苦味がなくフルーティで、心をすっきりと溶かしてくれる。コーヒーへの深い愛と知識が感じられる、伊東屋自慢の一杯。コーヒー好きな人にこそ、ぜひ味わってほしい。
店舗は本店のほかに、市内にもう一店舗「Itoya coffee factory」がある。こちらは桐生繊維製品協同組合だった建物をリノベーションした店舗で、その建物の雰囲気を残しつつ、焙煎機を見られるギャラリーも併設されている。
また伊東屋珈琲が入居する直前、ここはネクタイ工場の事務所として活用されていたそう。その当時の看板は今も建物に残されており、桐生の人々が建物を一過性のものとしてではなく、大切な遺産として捉えているのがよくわかる。
伝統的な建物と、豆や食器、そして空間までこだわりに満ちた伊東屋珈琲。足を運べば、珈琲はもちろん、古民家の雰囲気を最大限に味わうことができるだろう。
桐生のランドマーク
伊東屋珈琲のオーナーに「桐生にあるレトロ建築で好きなものは?」と尋ねたら「Life & Gift KINARIの入っている金善ビルを見てほしい」と答えてくれた。
金善ビルは、桐生の中心市街地にそびえるランドマークのような存在。ビルの建設をおこなったのは、桐生の繊維産業の繁栄を代表する企業であった、金善織物の2代目・金居常八郎。モダンな建物は、現代の街並みのなかでも違和感がないけれど、建てられたのは大正後期である。この時代につくられた鉄筋コンクリート造のビルで、現存しているものは数少ないという。
ビルに入ると、アニバーサリーギフト店・KINARIがある。店内は桐生の織物をはじめ、全国から選りすぐられた工藝品や生活雑貨などこだわりの逸品が並んでいる。高い天井からはシャンデリアが降りていて、大正浪漫を感じられる。
「このビルをオフィスや事務所として使用するのではなく、お店としてオープンな場所にすることで、訪れる人たちが中に入り、ビル内も見学できる。そういった公共性をもつ場所にすることで、微力ながら地域の活性化も考えているんです」と店舗を運営する株式会社ユニマーク代表の尾花さんは語る。誰かが独り占めするのではなく、様々な人に桐生の魅力を感じてもらいたい、そんな思いが垣間見えた。
株式会社ユニマークは、もともと刺繍が専門。KINARIでも、工場で使われる本格ミシンを使って、購入した商品に刺繍を入れることができる。「桐生は繊維の街ですからね、KINARIを通じて“織都”を感じてもらえたら」とオーナーは熱っぽく話してくれた。
じつは、戦後に金善織物が廃業してから、金善ビルに繊維関連の店が入ったのは初めてのことだという。KINARIの以前は証券会社や、直前には飲食店が入居していたそうだ。
「100年前に金善織物が建設したビルで、今、KINARIという繊維の会社がその想いを受け継いでいる。建物自体の魅力もさることながら、そのストーリーも私にとってすごく魅力的なんです」と話す尾花さんはとても穏やかな表情をしていた。
コロナ禍の難しい状況ではあるが、今後は2階のワークショップスペースを活用して、より開かれた場所として発展させていく予定とのこと。
ここでは、刺繍のうつくしさを味わいながら、桐生が紡いできた歴史とそれを継承していく人たちの思いを感じてほしい。
──桐生のレトロ建築は、街の古い建物に惹かれ、その魅力を伝えようとする人々によって、さまざまな可能性を見せてくれる。それは単純に建物としての魅力だけではなく、桐生にいる人や、その人たちによって作られるモノに関してもだ。建築を通して、桐生そのものに触れると言えるかもしれない。
東京からは約2時間。都会の喧騒を離れて、一度訪ねてみてはいかがだろうか。
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